石川ひとみ
いしかわひとみ / Ishikawahitomi
DATA
- 出生日期
- 1984(昭和59)年5月13日(40歳)
- 出生地
- 埼玉縣
- 身高
- 161.0cm
- 胸圍
- 83.0cm
- 腹圍
- 58.0cm
- 臀圍
- 86.0cm
- 愛好
- バレーボール
工作趨勢
輪廓
石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、1959年〈昭和34年〉9月20日 - )は、日本の歌手、聲優。本名、山田ひとみ(舊姓石川)。愛稱はひっちゃん。血液型はB型。
來歴・人物
生い立ち
名古屋市西區生まれ。伊勢灣臺風が東海地方に上陸する直前に誕生し、騷々しく臺風が通過する中もすやすやと眠っていた。生まれたばかりの頃は無數のしわに低い鼻、目も小さかったので「少しでも目鼻立ちがぱっちりするように」との 祈りを込めて、ひとみと名付けられたという。2歳の時に愛知縣海部郡美和町に轉居した。
幼少期はおてんばで、七寶幼稚園に通うと近所の男兒と田の中で大喧嘩して泥だらけで歸宅したこともあった。正則小學校の6年生でソフトボールに熱中してエースで4番を務めた。スポーツ以外は幼稚園頃からピアノを始め、小學生の頃に大流行していた「黒猫のタンゴ」のレコードをかけながら自宅などで歌ったのがきっかけで音樂に目覺めた。
小學6年生(當時)の1972年3月19日にCBCテレビののど自慢番組『どんぐり音樂會』で南沙織の「潮風のメロディ」を歌って準優勝し、初めてTV番組に出演した。美和中學校で軟式テニス部に所屬してダブルスで前衞を務めた。當時から目の瞳が大きくて愛らしく、男子生徒らから人氣が高かった。
名古屋短期大學付屬高等學校に入學。街中の廣告で東京音樂學院名古屋校を知り、合格して高校1年生の1975年11月から通い始める。しかしその後、十二指腸潰瘍で入院したり、月謝の値上げもあって兩親から「お茶とかお花とか將來役立つことをしなさい」と言われるなどあり、だんだん行かなくなって、本人曰く「しぶしぶ」という形で半年ほどで辭めることになる。その後は、多くの生徒と同じくエスカレーター式に付屬の短大に進むつもりだったという。
しかし、高校2年生の11月頃に渡邊プロダクションの新人歌手オーディションを勸められ、輕い氣持ちで受けたところ合格。そして名古屋に來たディレクターに勸められて出場したフジテレビ系オーディション番組『君こそスターだ!』でチャンピオンとなる。番組のオーディション1週目で岩崎宏美の「ドリーム」を歌うが、歌詞を間違えて「ごめんなさい」と叫び收録が中斷された。しかし「歌詞を間違えた出場者は君が初めてだよ」と逆に審査員に好感を持たれ、その後『君こそスターだ!』では7週勝ち拔いてチャンピオンになった。
この結果を受けた渡邊プロから「まだ歌手になれるかは分からないけどうちの新人班に所屬してはどうか」と打診された。上京になるため兩親から反對されたが、「大學進學したと思って4年間だけ東京で頑張らせてほしい」と説得。親の許可を得て渡邊プロに所屬して活動することになり、1978年3月、高校卒業の3日後に上京して渡邊プロの寮に入寮。同時期の入寮者に桑江知子、松原みきがいる。寮生活では、休日に上記の2人に加えて先輩デュオのザ・リリーズなどとよく立川市でボウリングを樂しんだ。
アイドルデビュー〜ブレイク
1978年5月25日に、キャニオン・レコードのNAVレコードから「右向け右」でアイドル歌手としてデビューすると、全國58大學で構成する全國ビューティ・オール學生協會から「'78マスコット・ガール」に選ばれるなど、デビュー當時から容姿と歌唱力が高く評價されて大學生を中心に大きく支持を得る。男性誌を中心に水着姿のグラビア撮影が多かったが、生後6日で體驗した伊勢灣臺風も影響して水を恐れておりデビュー前は水着を1着も持っていなかった。
1979年から1982年までNHKの人形劇『プリンプリン物語』で聲優として主役のプリンセス・プリンプリンの聲を擔當し、同局の歌番組『レッツゴーヤング』では太川陽介と司會を務めた。
兩親と約束した4年間の"タイムリミット"となった1981年、それまでヒット曲に惠まれず「中途半端なままで活動を續けたくない」という意志からこれを最後の曲として歌手をやめるつもりだった11枚目のシングル「まちぶせ」が好評で販賣枚數も多く、キャンペーンで全國を巡りながら「歌の樂しさを思い出して、辭めるのはやめようと思った」。「まちぶせ」は長期間ヒットチャートの上位にあり、次のシングル曲として豫定されていた「にわか雨」の發賣見通しが立たず、にわか雨の時期を過ぎたこともあり發賣を見送り、代わりに「まちぶせ」と同じく三木聖子のカバー曲である「三枚の寫眞」を發賣した。「にわか雨」は2年後の1983年6月21日に16枚目のシングルとして發賣した。
1981年に『NHK紅白歌合戰』に初出場する。
ブレイク以降B型肝炎發病まで
1982年2月にN.S.P.の天野滋による「ひとりじめ」、5月に「君は輝いて天使にみえた」を發賣し、ファンから評判が高かったものの販賣枚數は多くなかった。1982年に、NHK總合『あなたのメロディー』で、高校生の川越進が作詞作曲して石川が歌唱した「パープル ミステリー」が年間優秀曲に選ばれ、一部歌詞を改編して1983年2月にシングル「パープル ミステリー」として發賣した。
1983年6月に「にわか雨」を發賣。キャンペーンでミニFMステーションを模した「にわか放送局」を日本各地で開局し、その場で集めたリクエスト曲やアンケートを元に、DJを織り交ぜた新曲發表會やサイン會を催した。
1983年9月に「戀」を發賣する。脱アイドルを模索し、テレビドラマに出演するほか、露出度が高いグラビア寫眞を雜誌『GORO』の衝撃館で發表した。その他、『寫樂』や『プレイボーイ eyes』などでもセミヌードグラビアを公開し、1984年11月にヌード寫眞集「心變わり」を發賣した。
1984年12月23日に立川WILLで行われたクリスマスライブで、「今まで、色々なことに挑戰してきたが、來年からは歌に全精力を傾けてゆく」と述べた。
1985年5月に「夢回歸線」を發賣して、ナリス化粧品のコマーシャルソングに使用された。
1986年4月に「祕密の森」を發賣、キャニオン・レコード / NAVレコードからのラストシングルとなった。
1987年(27歳)に初めてのミュージカル「はだかの王樣」で主演するも、公演まで1週間を切ったリハーサル中にひどいめまいに襲われた。病院で診察を受けるとめまいとは別に、B型肝炎を發症していることが偶然判明し、急遽入院することになった。スタッフとして石川を支えていた山田直毅は、發病前と變わらずに接して精神的に支えた。
休業から活動再開後
退院後に渡邊プロダクションと契約が破棄されて藝能界を退いたが、1988年に活動再開する。本人の場合、母子感染でB型肝炎のキャリアになったが、この頃から本人にとって病氣への誤解と偏見による辛い日々が續いた。最も辛かったのは、病氣公表後からしばらくは街なかで握手を拒まれたり、通っていた水泳教室で「同じプールで泳いだりすると病氣がうつるから教室を辭めて下さい」と言われたことだという。
映畫『男はつらいよ』の寅さんの大ファンで、友人の齊藤ゆう子と「柴又ツアー」と稱して映畫ロケ地の柴又界隈を廻った。1990年3月に、新聞の取材を受けるために訪れていたホテルのラウンジで、寅さん役の渥美清と遭遇する。色紙を持ち合わせず無地のレポート用紙にサインをもらい、現在も額縁に入れて大切に保存している。この時、渥美からサイン入り寫眞との交換をリクエストされたため、偶然持っていた自身の寫眞をお返しとして渥美に渡した。
1993年(34歳)、ミュージシャンでデビュー以來バックバンドを務めていた、作・編曲家の山田直毅と結婚し、結婚式は擧げなかったがその代わりに夫婦でベルギー旅行に行った。その後、1997年から2年間NHK教育『母と子のテレビタイム(日曜版)』に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開している。
その後は一五一會によるCDアルバムをリリースしているほか、エイズや肝炎に關する講演活動も取り組んでおり、鬪病記には『いっしょに泳ごうよ』(集英社)がある。
2023年8月23日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)の番組内で、11年前から指定難病の1つであるシェーグレン症候群と鬪っていることを明らかにした。
近年の活動
2015年末から淺草のアミューズ・カフェ・シアターでアイドル時代のオリジナル曲を中心とするライブ活動を開始する。
デビュー40周年の2018年に、1983年の「プライベート」以來35年振りで9枚目のオリジナルアルバム「わたしの毎日」を發賣し、7月にアルバム發賣記念ライブ、10月に40周年記念コンサート、2019年2月に東京と名古屋で追加公演、をそれぞれ開催している。
2021年4月に自身初のライブ配信、5月に初のDVD作品「石川ひとみ LIVE わたしの毎日」を發賣。
2022年3月にTOKYO FMホールでの有觀客コンサートを收録した初のBlu-ray作品「石川ひとみコンサート2021」を發賣。
デビュー45周年の2023年に、5年振り10枚目のオリジナルアルバム「笑顏の花」を發賣、10月に「45周年記念コンサート〜笑顏の花〜」を開催、11月に2021年以來2回目となるビルボード公演を大阪と横濱で開催、翌2024年7月には東京・丸の内コットンクラブでの公演を開催。
ディスコグラフィ
シングル
オリジナルアルバム
- くるみ割り人形(1978年12月21日)
- ひとりぼっちのサーカス(1979年6月21日)
- ひとみ…(1980年2月21日)
- Inside/Outside(1980年10月21日)
- まちぶせ(1981年7月21日)
- 夢模樣(1981年11月21日)
- ジュ・テーム(1982年6月21日)
- プライベート(1983年8月21日)
- わたしの毎日(2018年6月20日)
- 笑顏の花(2023年7月19日)
- 子供向け音樂
- HOME・MADE-ただいま-
- ※1999年4月21日、ビクターエンタテインメントから發賣。夫妻で制作したオリジナル曲で構成。
- 一五一會シリーズ
テイチクエンタテインメントのインペリアルレコードレーベルから發賣。
- みんなの一五一會〜唱歌・童謠編(2004年5月21日)
- With みんなの一五一會〜フォークソング編(2005年9月21日)
- With みんなの一五一會〜RADIO DAYS(2006年6月21日)
- With 〜the best of 一五一會(2007年12月19日)
- ※セルフカバー集と、シリーズ3枚からのセレクションの2枚組。
- ゴールデン☆ベスト(2011年4月6日)
- ※4作品からのセレクションに未發賣バージョン2曲を加えた2枚組。
ライブ・アルバム
- キャンパス ライブ(1983年1月21日)
- ※早稻田大學での學園祭ライブ(1982年11月7日)を收録。
カバー・アルバム
- THE REBORN SONGS〜すずらん〜(2013年5月29日)
タイアップ曲
石川ひとみがカバーした樂曲
- 1970年代
- 1980年代
- 1990年代以降
タイアップ曲(未商品化曲)
- ともだちみつけた
- ※1995年にみんなのうたで放送、日本コロムビアの『みんなのうた』の一部アルバムおよびオリジナルアルバム『―ただいま』、『ゴールデン☆ベスト』に收録
- ボクたちトレン太くん
- ※1999年にJR東日本のトレン太くんラジオCMソングとして制作。懸賞用の非賣品シングルのみ存在する。
- 小犬のプルー
- ※1982年にみんなのうたで放送、日本コロムビアの『みんなのうた』の一部アルバムに收録。
- ちっちゃなフォトグラファー
- ※2002年にみんなのうたで放送、日本コロムビアの『みんなのうた』の一部アルバムに收録。
カセット
- くるみ割り人形・右向け右 =わたしはひ・と・み=(1978年9月10日)
- HITOMI SONGS(1979年9月10日)
- 石川ひとみ・全曲集(1985年12月05日)
- 石川ひとみベストアルバム(1989年12月5日)
- 不思議少女・ナイルなトトメス(1991年2月1日)
- 元氣あげるね(作詞:賣野雅勇、作曲:本間勇輔、編曲:岩田雅之)
- ターミナル(作詞:木原麻希子、作曲:本間勇輔、編曲:岩田雅之)
ベストアルバム
- 石川ひとみ / プロフィール(1982年10月21日)
- 石川ひとみ / best Memories(1984年3月3日)
- 石川ひとみ / スーパーベスト(1986年11月21日)
- 石川ひとみ★BEST MYこれ!クション(2001年11月17日)
- 石川ひとみベストセレクション(2002年4月25日)
- 石川ひとみ SINGLES コンプリート(2007年8月17日)
- Myこれ!Liteシリーズ 石川ひとみ(2010年4月21日)
- ザ・プレミアムベスト 石川ひとみ(2012年11月21日)
- ゴールデン☆アイドル 石川ひとみ(2014年7月30日)
- 40th 石川ひとみアンソロジー(2018年3月21日)
CD-BOX
- 78-86 ぼくらのベスト 石川ひとみCD-BOX(2002年9月19日)
- 78-86 ぼくらのベスト2 石川ひとみCD-BOX(2004年1月7日)
映像作品
- Tenderly(1983年)
- Romancing Mystery 石川ひとみ -瞳の中の女たち-(1984年)※ ヌードを披露している。
- 石川ひとみ LIVE「わたしの毎日」(2021年5月19日)※ライブDVD
- 石川ひとみコンサート2021(2022年3月30日)※ライブ・ブルーレイ
- 石川ひとみコンサート2022(2023年7月19日、アルバム「笑顏の花」限定BOX)※ライブDVD
參加作品
- Xbox 360用ゲーム『ビューティフル塊魂』サウンドトラック『塊ステキ魂』(2007年11月21日、コロムビアミュージックエンタテインメント)
- ※M-6「戀の稻刈り」
- トリビュートアルバム『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』(2016年9月7日)
- 「ウナ・セラ・ディ東京」(岩崎宏美とデュエット)
出演作品
テレビ番組
- みごろ!ゴロゴロ!大放送!!(1978年 - 1979年、テレビ朝日)
- 笑って!笑って!!60分(1979年 - 1980年、TBS)
- チェック&チェック(1980年、TBS)
- お化けのサンバ(1980年 - 1981年、東京12チャンネル)
- クイズ・ドレミファドン!(1980年 - 1981年、フジテレビ) - 司會
- たのきん全力投球!(1980年 - 1981年、TBS)
- もんもんドラエティ(1981年 - 1982年、テレビ東京)
- レッツゴーヤング(1982年 - 1986年、NHK總合) - 司會
- しぜんとあそぼ 秋の山(1997年、NHK教育) - ナレーション
- 母と子のテレビタイム(日曜版)(1997年 - 1999年、NHK教育) - 司會
- インターネットで自由研究(NHK教育、1999年)
- 花まる電家(1999年 - 2003年、ミヤギテレビ(制作局)、青森放送、テレビ岩手、秋田放送、山形放送、福島中央テレビ、テレビ新潟)
- みんなの廣場だ!わんパーク(2002年5月26日、NHK教育)
- BS日本のうた(2010年1月10日、NHK-BS、會場:栃木縣・宇都宮市文化會館)
- NHKのど自慢(2024年2月11日、NHK總合・ラジオ第1・FM、會場:島根縣・島根縣民會館)
テレビドラマ
- 婚約旅行殺人事件シリーズ(1985年 - 1986年、テレビ朝日) - 三ツ江眞由子 役
- 水曜ドラマスペシャル 水曜日の戀人たち 同棲の傾向と對策(1985年11月6日、TBS)- 橋口きょう子 役[1]
- 天までとどけ 第1シリーズ(1991年、TBS) - 前田先生 役
- 代表取締役刑事 第44話(1991年9月22日、テレビ朝日)
人形劇
- プリンプリン物語(1979年 - 1982年、NHK總合) - プリンセス・プリンプリン 役(主題歌も擔當)
- ざわざわ森のがんこちゃんスペシャルショー(2013年2月11日、NHK Eテレ) - プリンセス・プリンプリン 役 ※特別出演
テレビアニメ
- 二死滿壘(1982年、フジテレビ) - 山川友代 役
- 昆蟲物語みなしごハッチ(1989年 - 1990年、日本テレビ) - 主人公・ハッチ 役(主題歌も擔當)
舞臺
- 新吾十番勝負(1988年) - お縫 役
NHK紅白歌合戰出場歴
- 注意點
- 出演順は「出演順/出場者數」で表す。
ラジオ
- こうせつと仲間たち(2009年3月 - 2013年3月、NHKラジオ第1放送)
- ひとみと所のお熱いのがお好き(1982年10月 - 1983年4月、文化放送)
- 土曜の夜はドヨヨ電リク(1979年10月 - 1980年3月、ニッポン放送)
- 桑田佳祐と石川ひとみのなんでもスルー・ザ・ナイト(1981年12月、ニッポン放送)
- ミュージック・リクエスト(1997年 - 1998年、ラジオ日本)- 木金パーソナリティ(生放送)
- 石川ひとみのさわやかドライブ
- 石川ひとみ 青春メモワール
- 石川ひとみの夢色パレット
- 石川ひとみのほほえみボンジュール
テレビCM
- サンヨー食品 サッポロ一番 中華そば(1980年)
- ブラザー工業 ブラザーミシン オーパス8(1981年)
- 味の素 クノール カップスープ(1982年 - 1983年)
- カネボウ化粧品 モイストシャンプー・リンス(1983年)
- サントリー HAIG(1984年)
- ナリス化粧品(1985年)
- タキイ種苗(1985年)
ラジオCM
- ホソカワミクロン化粧品 ナノクリスフェア(2018年)
WebCM
- ホソカワミクロン化粧品 ナノクリスフェア(2018年)
共演した歌手
書籍
著書
- こころ魅かれて やさしい風のくちづけ(1980年7月、ワニブックス)
- いっしょに泳ごうよ 愛が支えたB型肝炎克服記(1993年11月、集英社)ISBN 978-4087810882
寫眞集
- 妖精の旅立ち(1978年11月、ペップ出版)
- Je t'aime(1982年7月、渡邊音樂出版、撮影:波多健二、山崎邦彦)ISBN 978-4401620340
- 心變わり(1984年11月、ワニブックス、撮影:渡邊達生)
脚注
注釋
注
出典
關連項目
- 1978年の音樂#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
- 年代別プロマイド(ブロマイド)賣上ベスト10 - 1979年。
外部リンク
- Hitomi Ishikawa Official Site:ただいま - 公式サイト
- 石川ひとみ - TEICHIKU ENTERTAINMENT
- 石川ひとみ (hitomi40th) - Facebook
- 石川ひとみ (@Ishikawa_1103) - X(舊Twitter)
- 石川ひとみ - NHK人物録
- 石川ひとみ - youtube
2024/11/22 07:33